味の素グループの歩み

高輪研修センター物語

「味の素グループ高輪研修センター」は、2004年12月に約1000坪の敷地に建設されました。「味の素食の文化センター」や「食とくらしの小さな博物館」も併設され、味の素グループの多くの人々が利用しています。

2004年竣工の高輪研修センター

「味の素グループ高輪研修センター」は、2004年12月に約1000坪の敷地に建設されました。「味の素食の文化センター」や「食とくらしの小さな博物館」も併設され、味の素グループの多くの人々が利用しています。近代的な建物にもかかわらず、純和風の門や趣のある塀、錦鯉が泳ぐ池や日本庭園、茶室もあります。ここにはどんな歴史があるのでしょうか? 今回はその歴史をたどってみましょう。

江戸時代(1603年~1868年)、この一帯には数多くの大名の下屋敷やお寺がありましたが、研修センターのある場所には信州飯田藩本田家の下屋敷がありました。下屋敷とは、大名が江戸に所有していた複数の屋敷の中で、江戸城から一番遠い所にあった屋敷のことです。

晩年の二代三郎助

明治時代になって、日清、日露戦争で日本を勝利へと導いた大山巌(いわお)元帥陸軍大将がここに屋敷を建て、その後、仁礼景範(にれいかげのり)海軍中将子爵が所有していました。この建物を味の素グループ創業者である二代鈴木三郎助が購入したのは1916年のことです。

二代三郎助は葉山から東京に進出した後、銀座、麻布十番や愛宕町の借家に住んでいましたが、長男三郎の結婚を機会に当時地名を高輪南町といったこの地に自宅を購入することにしました。1923年の関東大震災の際には、京橋の本店事務所が焼失したため、この自宅を仮事務所としたこともありました。昭和になってから、「味の素®」事業も軌道に乗ってきたので、二代三郎助は、創業20周年を記念して、現在の味の素社本社ビルがある場所(当時:宝町)に、新しい本店ビルを建てることを決定しました。彼はその定礎式に臨んでから、急に高輪に新邸を建てることを決め、設計者の宮内省技師であった木子幸三郎と一緒に京都や奈良にでかけ、銘木や名石などの建築材料を集めたりもしました。しかし二代三郎助が体調を崩したために、急遽1931年3月26日に上棟式を行い、それからわずか3日後、二代三郎助は、新本店ビルも新居も完成を見ることなく亡くなりました。

高輪研修センター建設前に当地にあった鈴木家邸宅。のちの「味の素記念館」

翌年には見事な近代和風の住宅建築と苑池(えんち)をもつ庭園が完成しました。跡を継いだ三代三郎助が自宅としましたが、戦後は「味の素記念館」として、社員研修などに利用されました。現在の研修センター内にも、玄関の天井や1階奥の特別会議室には銘木を使用した和風建築が残されており、往時の名建築を偲ぶことができます。なお、二代三郎助が高輪に新邸を建てるにあたり、それまであった建物の一部は現在の葉山マリーナの駐車場に移築されました。これは「葉山記念館」という名称で1975年頃まで福利厚生施設の海の家として利用されましたが、今日では存在しません。